ぶたれる恐怖
わたしの対人恐怖の根底にあったのは、
ぶたれる恐怖ななではないか…と思っています。
これまで、臭いが気になって嫌われる…とか、否定されるのが怖くて…とか、いろいろ理由を自分なりに挙げてきました。
それぞれ、それなりにしっくりくる部分があって、納得してたのです。
ところが、ふとYouTubeで、
イギリスにある暴力的な子供のための更生施設の動画を見て、
あ、わたしも暴力的な部分があった、と思い出しました。
友達のカバンを引っ張ったり、友達を叩いたり。それで、嫌がられてたんです。
怖いよー。っていわれてた、しかも中学生のとき。
母親にも、暴力的なことしないで!とかいわれてた…って思い出したんです。さわぐようなことした記憶はないけど、そういわれたのは覚えてます。
たぶん、物を置く時に凄い勢いで叩きつけたとかそんなんだったかなと。
動画をみていたら、施設の職員が子供の暴力の原因は親にあるって言ってました。
これまで、私はとんでもない生きづらさや、私の人生が私のものでないような無力感、喜びのない人生観などに、悩まされてきました。
そのなかで、いろいろな本を読み、今の生きづらさは幼少期などに受けた、親からの影響によるところが大きいというのはわかりました。
そういうこともあり、動画で暴力的な子供について、親の影響と言ってたことに、深く納得したんです。
それで、母によくぶたれていたことを思い出しました。
幼い頃から、家に帰って寝るだけの父。その後の単身赴任で、家に父の姿があったことをほとんど覚えていません。
母は私を打ちたい放題でした。
傷跡ができるほど打ちませんが、私の心を支配するくらい頻繁にぶたれていました。
母にとっては、とんでもなく聞き分けが無い子供だったんでしょう。
幼稚園へ行った時、先生が物を取ろうとして手を挙げた瞬間、ぶたれると思って頭を抱えたことがありました。
今なら虐待の兆候なんて騒がれるかもしれませんが、当時はそこまででもなく。
そういうことを思い出すと、私は母にぶたれることをおそれ、それによって激しく支配されていたんだと思います。
よく、往復ビンタするからね、と叱られ、実際に私はよく往復ビンタされていました。
もちろん、父が帰ってこない家の中で、母と私の二人っきりのなか。体格も今でも母より小柄ですし、精神的にも肉体的にも抵抗ができないなか、往復ビンタの毎日。
母は口が達者で、叱るときもずーっとしゃべっていました。
そんなんが毎日続いて、怒られてる内容も、毎日同じ。
あんた!どうすんの!といわれ、何も答えられないと、叩かれる。
往復ビンタされるのが怖くて、点が悪いテストを隠したりしてました。
それが見つかってまた往復ビンタ。
ビンタで支配された教育でした。
恥ずかしながら、高校生までずっとそう。
いっそのこと、不良の高校とかに通っていたら、母から逃げれたかもしれません。
けれども、私は小学校から高校までのエスカレーター方式の私立に通い、ほかに世界を知らないまま。周りには問題のない同級生ばかり。バイトも禁止。
家に一目散に帰るような同級生ばかりのなか、私の居場所はやはり家しかありませんでした。
そんな生活のなか、やはりわたしは適応障害となっていました。
周りとうまくやっていけないのです。
わたしが私でない感覚、というかこんなわたしはわたしじゃない、という感覚を毎日抱えながら、家に帰れば母から毎日同じ内容の説教。
ヒートアップすると、叩かれ、怯える毎日。
そんななか、わたしは叩かれる恐怖というのを、植えつけられたと思います。
動画を見たのがきっかけで、それがなぜキッカケになったのか、昔のことを思い出したからだと思います。
もう、誰にもぶたれることはない。
そう確信できたんです。
人に対する怯えがすーっと消えるようでした。
もう、ぶたれない、叩かれることはない、ビンタされない。
もう怖くない。
戦える。逃げれる。非難できる。
私は武器を手に入れた。
もう、誰かにぶたれると怯える必要は無いのです。
そう考えると、頬の感覚が鮮明になってきました。
滞っていた、頬の血流が流れていくのを感じ、頬に風を感じました。