望まない母
わたしには、自分の人生を生きるチャンスや、他の人が経験できないことを経験できる、チャンスが1度か2度あった。
1度目は、父の転勤。
英語圏の国への転勤だった。私はもちろん、ついていくつもりだった。
年齢的には少し遅い英語圏だったけど、中学生だったわたしにも馴染むチャンスはあったと思う。
初めは母も家族でついて行く気で、満々だったが、母に任せていたらいつのまにか父は一人で転勤していた。
どうしたの?わたし行くんじゃないの?と母に尋ねると、いろいろ考えて辞めたと言った。
母は、環境が変わることで、あたしがダメになるから行かないと言った。
周りの友達には転勤について、話していたので、結局は日本にいることになったのは、それはそれで恥ずかしかったし、なによりわたしの希望も聞かずに勝手に決断した母の決断は受け入れ難かった。
ただ、母は母なりの理由を述べていたし、当時中学生といえども、幼かったうえに、もう決まったことなので、何もいえなかった。
けど、大きなチャンスがわたしの前から相談もなしに、忽然と消えたことに、違和感を覚えたし、憤りも感じた。
今思えば、母が私のチャンスを潰したんじゃないかと思う。
母は故意にそうしたわけではないと思いたいけれど、こういうことは何度かあった。
私の本当の気持ちを知りながら、違う選択をさせる。母にコントロールされた私は従うしかなかった。
従わなければ、家で居場所はないから。
今、ようやく、少しずつ、私の人生を、母が望む私の人生ではなく、私が望む私の人生を歩んみはじめている気がする。
もう、邪魔させない。
生きる意味
生きる意味ってなんでしょう。
可能性の問題だと思います。
まだ、この体で、この次元のこの世界で、できることがあるって思えることが、生きる意味を感じられるとき。
生きる意味がある人は、生きる意味については考えません。
生きている意味に疑問を持たないから。
もう、満足したり、なにも見出せなくなったら、この次元での生きる意味は持たなくなります。
私のすきな哲学に、
『本来、私たちは次元に縛られるべき存在ではない』
という思想があります。
3次元的な存在ではなく、多次元的な存在。
3次元の体にいることで、不自由に感じることもあります。
内なる声に耳を澄ませば、声が聞こえてくるかもしれません。
こんな考え方が今の私を支えています。
愛されるということ
たぶん私よりも、酷い目にあった人はごまんといると思う。
けど、わたしはくるしい。つらい。
だから、愛が足りないんだって思う。
小学生のころから、やけに浮いてた。
自分では気がつかなかったけど、とにかくみんなにちやほやされて注目されてないと、死にそうな気分になった。
だから、目立つことはなんでもやった。
泥遊びや、絵の具遊びがあったら、一番に汚れて、みんなに注目されたかった。
病気になって、みんなに、心配されたかった。
そのくせ、肝心なときに、肝心なことを言えなかったり、やらなかったりした。
朝の会の時間に、どうしてもトイレに行きたかったけど、言えなくて漏らしちゃった。
そのまま、濡れたまま一日中すごしてた。
先生も気がつかなかったのか、一人で全部処理した。
そして、攻撃的だった。
勝ち負けにこだわるし、先生の言いつけでも必要ない間違ってると思ったらとにかく聞かなかった。
可愛くないこどもっていうのかな。
けど、いつも不安だった。
そして、嘘もついた。
両親の仲とか、高価な買い物をしたとか、家がお金持ちだとか、見たことない映画を見に行ったとか。
そんなんでも、小学生のころは、だれかが私のことをいつもかまってくれた。
優しい先生だったり、優しい同級生だったり。
親に殴られてる子とか、親に育てられてない子とか、いろいろいたから、私はちょっとだけかわいそうな子ってかんじだった。
同級生の親にも可愛がってもらったりした。
中学に入ると、そんなこともなくなったけど。
ふと、こないだ、あまりに親が支配的なので、愛されてなかったんじゃないか?ってとこから、一歩進んで親からもらえなかった愛や関心をみんなから少しずつもらってたんじゃないか?って感じたら、涙がばーーーーって溢れた。
みんな優しかった。少しずつだけど、みんなから愛をもらえていた。
そう思ったら、なんだかかけてた、パズルのピースがはまったみたいに、少し安心できた。
心のデトックス
きっかけは慢性的な症状があるからでした。
その症状を治したい、その一心でいろいろな治療法を見聞きしている最中。
別に命にかかわる症状ではないんですげ、社会的には死んでるも同然。
口の臭いがきつくて、まともに喋れないんです。
虫歯も治し、歯周病でもない。
なんだかよくわからないけど、もうずっと臭い。
周りに臭い人がいたらわたしだってたぶん、嫌だと思います。
けど、嫌がられて臭いを発してる本人だって、わけがわからない、臭いとそれによる他人からの嫌悪の目で死ぬほど苦しくて、早く死のうかな、死なないかな、生きている意味なくね?って考える日々。
歯医者はもちろん、口臭専門の歯医者に馬鹿高い金払って通ったり、耳鼻科で医者に嫌がられるまでレントゲン撮らせたり、内科で胃カメラ飲んでみたり、腕がいい整体に行ってみたり、漢方飲んでみたり…けど、これ!っていう、効き目は全然なく。
ひどいとこだと、口臭専門医なんかとくに、治った治ったって追い返されたり。治ったと信じて大声で話したら、あ、やっぱり臭いらしい?って出来事何度もありました。
もう、なにを信じていいやら。
歯医者や医者には口臭って、治せないんですね。
ほんと、あてにならない。
医者に対する不信感はつのるいっぽう。
でも、治したい、普通の生活できないもん。
苦しかった。今も苦しい。
外でご飯食べたいし、店員さんとおしゃべりしながら買い物とかしたい。
ほんで、一周回ってたどり着いたのが、身体の症状は精神に依存してるっていう結論。
心のどっかが悲鳴あげてるから、それが口臭になってでてきてんだ。
そっから、スピリチュアルな本とか免疫学の先生の一般向けの本とか読みまくって、わかったんだよね。
愛着障害じゃね?って。
愛着障害は、親から十分な愛情を受けられなかった人が、大人になってもそれを克服できずにもがくことになるっていう症状。
いってみれば、毒親に育てられたら大人になっても毒抜かさなきゃそのままだよってこと。
両親いるけど、あたしにとって親とは母親。
父親は家にいた記憶がない。
いても影薄くて、記憶ない。
母親は、父親に浮気されたり、父親が遊びにお金を使うから働きに出たり、母親は母親なりに大変だった。
けど、そのストレスとか、つけとか全部、子供に回ってきたんだよね。
幼稚園時代から往復ビンタはあたりまえ。
小学生あがって、みんながぶたれてないってしってビックリ。
お金ないから、靴はいつも大きめ。
母親はヒステリーだし、父はいないから助けてくれない。
小学生のころは、不安が大きかった。生きていくことへの不安。将来への漠然とした不安。この先なにがあるか、わからなくて怖かった。
仮病をよく使うし、課外授業も仮病っていって、家に早く帰ったりしてた。
宿題もやらなかったし、学校の課題もしなかった。
そんなことより、将来の不安が大きすぎて、なにも手をつけられなかった。
親の目を盗んでは、禁止されてたテレビ見たり。
親が不仲で、それをバレたくなくて、友達に親が仲良いと嘘ついたり。
母親は、ことあるごとにわたしを呼び出しすごい剣幕でまくし立てる。
何を言ってるかわかんない、話が見えない、そんな話を散々聞かされた挙句に、あんたはどう思うの?って聞かれる。そんなん、本当のこといったら、またブチ切れられるし、言えるわけない。
怒ってるから、何も言えないと、今度はコミュニケーション能力がないと散々こけにされる。
そんな、生活が小学生のときからずーーーっと続いてた。
普段から話を聞かない母親だった。
小学生低学年のとき、眼鏡が汚れたといって渡したら、どうやって磨いたのかすごく傷ついて返ってきた。
見えづらいよ…っていっても、母親はそんなことあるわけない!といって聞かない。
しょうがないから、しばらくそのままにしてたら、見かねた同級生の母親から、うちの母親に電話があって、眼鏡どうにかしたら?って言われたみたい。
慌てて、母親はわたしに、なんで眼鏡見えづらいって言わないの??って言って、その日に眼鏡を買いに行った。言ったのに聞いてないじゃん。
そんなのばっかり。
母親はわたしをだしに使うことがある。
人より生理が早くて、死にそうに恥ずかしかったとき。
母親にこの気持ちを伝えててもわかんないだろうと思って、から喜びしてた。
母親は、幼い頃からわたしを性的になんだか気に入らないみたいで、小学生のときは小さい乳首!ってもてあそばれた。とても嫌だったけど、言えなかった。しばらく、恋人ができるまで、母親はあんたまだ処女だもんねーと楽しそうに言いふらしてた。
決定的に嫌だったのは、早くきてショックだった生理のことを、電話で母親が話してたこと。
うちの子もう生理きたのよーーー、早いわのよねーー。って。
誰にも知られたくないのに、言いふらす母親がすごく嫌だった。
そのくせ、下ネタにはやけに敏感で、下ネタは言うな!ってきつく叱られたりした。
わけがわからないけど、女性としての尊厳みたいなものが、母親によって踏みにじられたような気分をこれまで何度も味わってきた。
だから、わたしは女性らしくしていては、ダメなんだってすごく思った。
父親はいないし、兄弟もいない。
家には絶対的で支配的な母親と私だけだった。
家に帰るのがつらかった。
また、今日も怒られる。
叩かれる、バカにされる。
だから、そのうち、学校のことも話さなくなった。
だんだん、学校もうまくいかなくなってきたけど、相談する相手も誰もいなかった。
つらかった。
だれにもわかってもらえない、話せない、本心を話すと怒られる。
母親の気にいることを言わなければならない。
そうするうちに、自分が何を考えてるのか本当にわからなくなって、何も言いたいことがなくなった。
未だに自分が何を感じてるのか、なんとなく信頼できない。
何を思ってるのか、わからない。
小学生のときから、わたしの話をまともに聞き入れない母親。
そんな、母親と二人きり。父親も家に帰らない。祖父母といとこ家族とも確執がある母親は、わたしを親戚から遠ざけた。
誰一人、わたしの本心を話せる相手はいなかった。
話したかった。けど、話せなかった。
その思いが今もつきまとってる。それが、症状に出てる。
これが、わたしの結論。
わたしという、そのものを受け入れられること、受け入れられていることを実感して、受け入れること。
これができれば、きっと症状は回復すると思う。
あとちょっとだから、大丈夫。