感情を出すこと

これまで、母からはじまり、いろんな人から否定され続けてきました。

 

馬鹿にされ、笑われ、否定され。

そうしたなかで、受け入れられ、肯定されることに違和感を覚えるようになり。

どんどん、人に否定されることに逆に安堵を覚えるようになり。

 

肯定される自分が受け入れられないようになった一方、本当は肯定されたいと強く思い。

他人が肯定されるのを見ると、ひどく不快でまた私も他人を否定し続けてきました。

 

無意識だった。けど、私が許されないのに、あなたが許されるなんてこと、あっていいわけない。心の奥底でそういうフローができあがっていました。

 

母から受けた否定。それが、私の人格を形成し、人との関係を否定で結びつけました。

肯定的に受け入れられない。肯定することって、私にとっては胸くそ悪いこと。

 

小さい頃は良かったと思う。母が支配権を握ることが、その支配に服従することが生きることだから。母がいなくなると死んじゃうもん。

 

常に私が悪いと思っていました。こんなにたくさん叱られて、怒られて、ぶたれるのは、私が間違った考えや間違った意見を持ってるから。

そして、間違った感情を持ってるから。

楽しそうにピアノを弾いていたら、母が私を椅子から叩き落としたり、やりたくもないお受験の勉強を泣きながらしたり。その時から既に人の顔色を伺っていたと思います。友達は好きにやっていいよと言うと、自由にできるけど、私はできなかった。

自由ってなに?怒られるの?私の感情を感じることは、なかったかも。

それでも、成長するにつれ自我が出てきた。そんな時、母はヒステリックに私のことをこき下ろした。

自我が出てきて、もうコントロールできない私を、母はコントロールしたくて、必死に叱りつけて、怒鳴りつけて、否定し続けた。そして、母も精神病になった。わたしも、たぶん前からだけど、もっとおかしくなった。

 

わたしの感情は出したら、母のヒステリーを引き起こす。私が好きなことをちょっとでもしたら、そんなことして母は心配だよと泣き出す。

喜怒哀楽をありのままに表現したら、人から攻撃される。好きになったら悲しまれる。

 

だから、わたしは本当の感情を心の奥底にしまい込んだ。感情の指標は周りの人。周りの人が楽しんでたら楽しむ。悲しんでたら悲しむ。

 

そしていくうちに、私の魂の叫びは、感情の灯火は消えた。

 

今の体の症状は、体が心がそして魂が限界を超えたって、表現してる気がする。

私として生まれてきた。私として生きて!っていってるんだとおもう。

 

そうだとしたら、もう10年もいい続けてる。

 

私の事を私に委ねたい。

そう思う。